その格闘シーンは、
リーが若すぎる死の直前に撮った、
生涯最後のシーンである。
「燃えよドラゴン」はリーの死の直後に公開され、
祖国の香港を除く世界中で大ヒットとなった。
このマーシャル・アーツ・スターとしての彼の名は永遠のものとなった。
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映画のラフカットを見たリーは、
もっと強力なオープニングが必要だと感じた。
そこで後に香港最大のマーシャル・アーツ俳優となったサモ・ハン・キンポーを起用し、
オープニングの少林寺の僧たちを前にして行われる武術試合のシーンを撮影した。
リーがオハラに必殺のキックを見舞うと、
オハラが後ろに吹っ飛ぶシーンの撮影では、
オハラ役のウォールは一切演技をする必要がなかった。
オープニング・シーンのセリフの大部分はリー自身が書いたものだ。
このシーンでは、截拳道(ジークンドー)の底流にある哲学が効果的に描かれている。
リーは作品中のすべての格闘技シーンを指導したほか、
脚本にも積極的に意見を出して大きく貢献した。
オハラ(ボブ・ウォール)との対決シーンで、
リーが割れたビンのかけらで怪我をするアクシデントがあった。
しかし、再び撮影に戻ったとき、
リーは手を抜くこともなく、
強烈なキックを相手に見舞った。
男のバイブル SENTAR
ブルース・リー主演の3本の香港映画が世界中で大ヒットした後、
ワインとローブはリーの主演映画を香港とアメリカの合作で作る話を持ちかけた。
当初のタイトル案は「BLOOD AND STEEL」(血と鋼)というものだった。
この作品の脚本、製作、監督はアメリカ人だが、香港からも大勢のキャストとスタッフが参加する。
「燃えよドラゴン」はプロデューサーのフレッド・ワインローブの着想から生まれた作品である。
彼は以前に「THE WARRIOR」というTVシリーズの構想についてブルース・リーの助言を求めていたことがあった。
そのプロジェクトは後にデビッド・キャラダイン主演のTVシリーズ「燃えよ!カンフー」(1972―75)となって人気を博した。
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