1940年11月27―父・李海泉(リー・ホイチュアン)、母・李何愛楡(リー・ホイユー)の次男としてサンフランシスコのチャイナタウンに生まれる。本名・李振藩。生後三ヶ月ほどで映画「金門女」に女の赤ちゃんとして出演した。
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1946年―映画「細路祥」(日本未公開)で子役として初主演を果たす。
1947年9月―カトリック系ミッション校ラサール・スクール小学部に入学。
1948年―「李小龍(リー・シャオロン)」の芸名を名乗り、以降18歳で香港を去るまでに20本あまりの映画に出演する。
1952年―カトリック系の男子校ラサール・カレッジに入学。喧嘩に明け暮れる日々を過ごす。この頃、最初の師・葉問(イップマン)につき、詠春拳を習う。
1956年―ついにラサール・カレッジを退学。聖フランシスコ・ザヴィエル校に入学。この頃ボクシングを習う。
1958年―「人海弧鴻」(日本未公開)という香港初のカラー映画の主演を最後にいったん映画界から遠ざかる。香港で開かれたチャチャ(ダンス)の選手権大会で優勝。この頃、警察が出動するほどの大乱闘事件を起こす。
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