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Author:ブルース
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ブルースリーの足跡(1965年)

1965年2月―長男・ブランドン・リー(中国名・李国豪)誕生。同じ週に父・李海泉が肝臓病のため他界。
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ブルースリーの足跡(1966年)

1966年―「グリーン・ホーネット」の制作開始。翌年にかけて全26話が制作・放映された。

 

ブルースリーの足跡(1967年)

1967年―ダン・イノサントとともにロサンゼルスのチャイナタウンに3つめの振藩國術館を開設。そこで、ブルース・リーは截拳道(ジークンドー)を指導しはじめる。道場にはスティーブ・マックィーン、ジェームス・コバーン、チャック・ノリスなどの有名映画スターがぞくぞくと入門した。

ブルースリーの足跡(1969年)

1969年―ジェームス・ガーナー主演「かわいい女」でハリウッドの長編映画に初めて出演する。この頃、長女リー・シャノン(中国名・李香疑)誕生。哲学的な要素を多分に盛り込んだ武道映画「サイレント・フルート」を企画し、スターリング・シリファントやジェームス・コバーンと一緒に脚本を書くが、途中で挫折。しかし、ブルース・リーの死後、78年にデビッド・キャラダイン主演で完成する。

ブルースリーの足跡(1971年)

1971年1月―最初の主演作品「ドラゴン危機一発」を撮るため、ロケ地タイへ向かう。

1971年5月―歳のブランドンを連れて香港に里帰りをする。そこでリーは熱狂的な歓迎を受ける。スターリング・シリファントが脚本を書いたテレビ・シリーズ「復讐の追跡者」の第1話にゲスト出演。

1971年10月―「ドラゴン危機一発」のプレミア・ショーが香港で行われ、喝采を受ける。香港での興行収入はそれまで最高だった「サウンド・オブ・ミュージック」の記録を更新し、空前の大ヒットとなる。
 

ブルースリーの足跡(1972年)

1972年3月―主演2作目「ドラゴン怒りの鉄拳」のプレミアも大好評。香港での興行成績は前作の記録をあっさりと塗り替えてしまう。
 

1972年12月―主演3作目で初監督作品である「ドラゴンへの道」の興行成績は500万ドルをこえ、中国映画界での記録をすべて破ってしまう。
  

ブルースリーの足跡(1973年)

1973年―アメリカのメジャーであるワーナー、コンコルド、セクォイアの3社共同による「燃えよドラゴン」の制作開始。制作途中であった「死亡遊戯」の撮影は中断され、幻の作品となってしまう。

1973年5月10―ゴールデン・ハーベストの撮影所で最終プリントに音入れをしている最中に突然倒れる。

1973年7月20―頭痛を訴え、救急車で運ばれる途中、急死。32歳の若さだった。死因は脳腫瘍の悪化が定説である。

1973年7月25―香港・九龍殯儀館で1万の群衆を前に葬儀が行われた。

1973年8月―全米公開されたのを機に、全世界で公開され、大ヒットとなる。日本でも12月22日ロードショー公開され、記録的なヒット。ブルース・リーブームを巻き起こす。
 
1973年9月―香港で「ブルース・リーの生と死」が上映される。

ブルースリーの足跡(1974年)

1974年夏―台湾の台北市郊外の遊園地「大同水上楽園」の蝋人形館に「燃えよドラゴン」のブルース・リーが中国史上の有名人とともに並んだ。

ブルースリーの足跡(1977年)

1977年9月―代わりの役者をたて、「死亡遊戯」の撮影が香港とマカオで行われる。

ブルースリーの足跡(1978年)

1978年3月9―香港のシティーホールで世界のジャーナリストを集めて「死亡遊戯」のワールド・プレス・プレビューが開かれた。
  

ブルースリーの足跡(1980年)

1980年―アニメ映画「ドラゴン水滸伝」(香港)が日本で公開される。
1980年11月25―雑誌「ポパイ」92号(70年代特集号)の表紙を飾る。

ブルースリーの足跡(1981年)

1981年6月20―「燃えよドラゴン」の未公開フィルム等を用いたブルース・リー最後の映画「死亡の塔」が日本で公開。

ブルースリーの足跡(1982年)

1982年5月―「ロサンゼルスタイムス」紙に、マンガ「ブルース・リーの伝説」が連載される。

1982年7月―「燃えよドラゴン」(最後のリバイバル)が日本で公開される。

ブルースリーの足跡(1983年)

1983年―雑誌「GORO」に、「ブルース・リー死の内幕」(アルバート・ゴールドマン著)なる記事が載る。

1983年10月22―「怒りの鉄拳/危機一発」が日本でリバイバル公開される。

ブルースリーの足跡(1984年)

1984年―映画「ブルース・リーの神話」(香港)が完成する。

ブルースリーの足跡(1985年)

1985年―ブルース・リーオマージュ映画「ラスト・ドラゴン」(米)がアメリカでヒットする。

ブルースリーの足跡(1986年)

1986年―息子ブランドン・リーがロスでスカウトされ、「燃えよカンフー」の後日談を描いたTV映画「カンフー・ザ・ムービー」に出演し脚光を浴びる。

ブルースリーの足跡(1987年)

1987年―東京国際ファンタスティック映画祭に「ブルース・リーの神話」が出品される。ブランドン・リー主演第1作「ファイアー・ドラゴン」(香港)が日本で公開される。
 

ブルースリーの足跡(1990年)

1990年―ブランドン・リー主演第2作「バトル・ドラゴン」(西ドイツ)が日本で公開される。

ブルースリーの足跡(1991年)

1991年―関根勤司会の深夜TV「SO WHAT?」(日テレ)でブルース・リー特集を放映。ブランドン・リーハリウッド初主演作「リトル・トウキョウ・殺人課」(ドルフ・ラングレン主演)がアメリカで公開される。

ブルースリーの足跡(1992年)

1992年4月―映画「ストロンゲスト・史上最強の映画スターは誰だ」が日本で公開される。


1992年6月―ブランドン・リー初来日、ハリウッド主演第1作「ラビット・ファイアー」のキャンペーン。「笑っていいとも」(フジ)に出演。

1992年8月―「ラビット・ファイアー」が全米公開され、初登場3位を記録する。

ブルースリーの足跡(1993年)

1993年3月20―「ラビット・ファイアー」が日本で公開される。

1993年3月31―ブランドン・リーが米国ノースカロライナ州ウィルミントンで行われていた新作映画「ザ・クロウ」の銃撃シーンを撮影中、実弾を受けて死亡する。

1993年4月1―ブランドンの遺体から44口径の実弾が発見され、殺人事件の可能性が出てくる。(後にウィルミントン警察は、スタッフの過失による事故死と断定)

1993年4月28―ハリウッドのウオーク・オブ・フェイムにブルース・リーの名前が刻まれ、セレモニーが行われる。ロサンゼルスのトム・ブラットリー市長はこの日をブルース・リーデイにすると宣言。チャイニーズ・シアターで伝記映画「ドラゴン・ブルース・リー物語」のプレミアが行われる。

1993年5月7―「ドラゴン・ブルース・リー物語」全米で公開され大ヒット。初登場1位を記録。

1993年8月7―アメリカで遺品オークションが開かれる。

1993年8月21―「ドラゴン・ブルース・リー物語」 が日本で公開される。


1993年9月―ビースティ・ボーイズが 「GRAND・ROYAL・MAGAZIN」で、ブルース・リーを特集する。

1993年9月26―知ってるつもり「ブルース・リー・真実のドラゴン伝説」(日テレ)が放映される。

1993年10月―「ブルース・リー・ストーリー」(リンダ・リー著)が日本で発売される。

ブルースリーの足跡(1994年)

1994年3月―グリコ・カレー「LEE」のCMに、「燃えよドラゴン」のブルース・リーが登場する。

1994年5月13―「ザ・クロウ」が全米で公開され大ヒット。初登場1位を記録。

1994年9月17―「クロウ・飛翔伝説」が日本で公開される。

ブルースリーの足跡(1995年)

1995年―トヨタ自動車「カレン」のCM(永瀬正敏主演)で「燃えよドラゴンのテーマ」が流れる。

1995年3月2―長女シャノン・リーが初来日する。

ブルースリーの足跡(1996年)

1996年5月11―「世界不思議発見」(TBS)でブルース・リーの特集が組まれる。ついに歴史上の人物として扱われるようになった。

ブルースリーの足跡(1999年)

1999年?月―新グロモントのCMに「ドラゴンへの道」のブルース・リーが登場する。

ブルースリーの「挑戦」

よかったら、まずジョークから言わせてもらいましょう。いつも誰かがきて聞くんです。「ブルース、お前本当に強いのか?」ってそれに対して、「ああ、そうだ」と答えたら、彼らは私のことを慢心していると言うだろうし、かといって、「そんなことはない」と言えば、「嘘をついている」ってね。

ブルースリーノーツより引用



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ブルースリーの「関係」

人生は絶えず関係を持つことである。人は関係の中で生き関係の中で成長する。

ブルースリーノーツより引用


ブルースリーの「無心」の道

ブルースリーは無心の概念を次のように説明している。

平安や平穏は大切なことではあるが、それは「無心」の根源を構成する心の何にもとらわれない部分である。グンフーの使い手は、何もとらえることはないがすべてを拒まず、映し出しはするが留めておかない、といったように心を鏡の状態にしている。アランワッツが述べているように、「無心」とは、人の心を邪魔する邪念やエゴのない、心が自由で平和に機能する全体の姿を示す。ワッツが言っているのは、それぞれの内にある邪念やエゴにによって心を乱されないよう、心をあるがままにの状態にすることである。あるがままの思考でいる限り、追い払う努力はまったく要らない。努力が要らないということは邪念の完全な消失ということになる。

ブルースリーノーツより引用



ブルースリーの「流れる水」

心を空にしなさい。水のように、形態や形をなくしなさい。
水をカップに入れると、カップになる。
水をボトルに入れると、ボトルになる。
水をティーポットに入れると、ティーポットになる。
水は流れることができ、衝突することもできる。
水になりなさい。わが友よ。

流れる水は決して腐敗しない。だからただ「流れ続け」なくてはならない。

ブルースリーノーツより引用



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